トゥールビヨン スケルトン レッドゴールド ボン・ジョヴィ
(Tourbillon Skelet Red Gold - Bon Jovi)
「イッツ・ヒズ・ライフ(It’s his life)」
世界直営ブティック4店舗の一つ、ジャケ・ドローブティック銀座でジャケ・ドローの商品をご覧ください。
ジャケ・ドロー ブティック銀座
〒104-8188 東京都中央区銀座7-9-18 ニコラス・G・ハイエックセンター 4F
電話:03-6254-7288
営業時間:11時~20時
栄光の頂点に達したとき、人はそれ以上何を望むことができるでしょうか。ボン・ジョヴィというロックバンドは40年のキャリアにおいて、1億3,000万枚を超えるアルバムを売り上げ、リーダーのジョン・ボン・ジョヴィは、広く支持されているロックスター、思慮深い企業家、献身的に活動に取り組む慈善活動家としてその年月を過ごしてきました。その彼も今や円熟期を迎え、これまでの実績をもとに新しい地平を模索しようとしています。そのひとつが、自分の個性を表現する時計、すなわち厳しい要望に応え、破壊的かつ独創的な時計です。こうして、彼の生まれ故郷のニュージャージーからラ・ショー・ド・フォンへの道が開け、必然的にジャケ・ドローのアトリエにその関心が寄せられることになりました。
ボン・ジョヴィのファンは何億人もいますが、この時計を所有するファンは一人もいないでしょう。トゥールビヨン スケルトン レッドゴールド ボン・ジョヴィ(Tourbillon Skelet Red Gold - Bon Jovi)は、ジャケ・ドローの「唯一無二のものを求める哲学(フィロソフィー・オブ・ユニーク:Philosophy of the Unique)」に合致したモデルです。ジョン・ボン・ジョヴィによって、彼自身のために、彼とともに創り上げたこの時計は、唯一ジョン・ボン・ジョヴィだけが所有することができる時計です。ただし、ファンがそこからインスピレーションを得て、自分だけの時計をつくることは可能です。
ロックスター、ジョン・ボン・ジョヴィとの緊密なコラボレーションによって開発されたこの時計は、グループ結成40周年を記念したワールド・ツアーの間、彼自身が着用する予定です。41 mmのレッドゴールド製ケースには、ボン・ジョヴィのDNAとジャケ・ドローの本質である「JD8.0 :ディスラプティブ・レガシー(受け継がれる遺産の破壊と創造)」が共存しています。
それは、他に類を見ないデザインで、通常の文字盤がまったくなく、部品が浮いているように見えるデザインです。張りのある、力強い、極めて現代的な建築を思わせる構造で、ムーブメントをケースに固定しているのは、ブラックPVD加工を施した複雑な線状のブリッジ。12時位置のトゥールビヨンは宙に浮かんでいるかのようです。これと垂直に配置されているのは、短剣の左右に広がる2枚の羽をモチーフとしたホワイトゴールド製の彫金細工で、この短剣は、グループにとって特別な「40」周年を示す数字が刻まれたハートに突き立てられています。時針と分針の2本の針は文字どおり時計の「心臓部」に取り付けられ、アーティストとしてジョンが特に大切にしてきた魂と時間、心と精神を象徴する意味深いシンボルとなっています。すべて手作業でエングレービングとポリッシュ加工を施したこのロゴは、40周年記念ツアーを通して使用されるオリジナル・デザインです。
ロゴ全体をじっくりと眺めると、一見一体化しているように見えて実はいくつものパーツに分かれています。2枚の羽と短剣、ハート、そして数字の「4」と「0」。これらのパーツはばらばらにして初めて特別な仕上げを施すことができました。ソリッドゴールドの塊に手作業でエングレービングを施した翼の下には、サテン仕上げ、ポリッシュ仕上げ、グレイン仕上げが施され、流れるように自然に組み合わされています。トップのプレートには「ボン・ジョヴィ (BON JOVI)」の名前が刻まれていますが、これもシンプルに見えて非常に精緻な作業で仕上げられています。フォントもグループ独自のもので、高さ、深さ、間隔、角度を再現するにはどうしても手作業で作ることが必要でした。
この約8日間のパワーリザーブを備える自動巻きモデルの製作は、ジョン・ボン・ジョヴィ自身が監修しました。彼らのヒット曲のひとつ「イッツ・マイ・ライフ」で歌われている彼の人生哲学が見事に凝縮された作品となっています。
最新情報:パームビーチにて直接手渡される
ほんの数日前、ジョン・ボン・ジョヴィはパームビーチの自宅の近くで、ジャケ・ドローのCEO、アラン・デラムラから直接、このユニークピースを手渡されました。ジョンもこの心づかいに感動した様子で、その日の大半をジャケ・ドローのチームとの写真撮影に応じ、時間や時計、創造性に関するビジョンについて長時間、語りあいました。ジャケ・ドローでは、自らのビジネスモデルに縛られることなく、常々お客様一人一人に特別な配慮をしますが、今回のジョンの自宅からほど近いホテルの屋上でのひと時は、ジャケ・ドローの「破壊的創造」というアプローチを具現化するものとなりました。